| 昭和30年代、現代のような高速道路網がない当時は、鉄道が主力たる貨物輸送手段であり、関東の 大動脈である山手線も例外なく膨大な貨物輸送でひっ迫していました。 東京を中心に放射状に入り 込んでいる5方面の路線(東海道、中央、東北、常磐、総武)を環状線で連絡し、山手線の貨物輸送 をそこに移し、増大していく通勤旅客輸送に振り分ける計画で、当時まだ原野が広がっていた武蔵野 の地に東京外環状線である武蔵野線の建設がはじまりました。(5方面作戦) 同時に東に常磐、総武、西に東海道、中央、東北、へ至るここ三郷には田端、大宮操車場の機能を 移す目的で最新鋭の武蔵野操車場が設置されました。 |
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1983年頃の様子 機関車待機線辺り (写真は中川さんからご提供いただく) |
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現在の様子 貨物輸送形態がヤード方式から大きく様変わりし、武蔵野操車場を大きく包むよう に配置されていた上り線(EF81機関車走行)も、下り線側に寄せられてしまい、遠くにポッカリと できた再開発を待つ広い更地が見える。 吉川駅から新三郷方面を望む 2001年冬 |